1995第1回ラリーレイドモンゴル
レース前半



初日ETAP1、スペシャルステージのINです。
これから、長いレースが始まります。
この時点で、早くもGPSの調子が悪く、先が思いやられます。
結局は、電源の、接触不良だったのですが、日本のダートでは、考えられないようなトラブルが、次々とライダーを悩ませます。


朝のスタートのカウントダウンです。
これから、何百キロも先の、その日のゴールを目指してがんばります。


綺麗な丘陵地ですね、あそこをバイクで、気持ち良くかっ飛ばしてみたいと思う人もいるでしょうが、
実際は、ピスト(モンゴルの幹線道路みたいなもの)を走る方が、安全に走行することが出来ます。
舗装率はかなり低く、舗装路を見たのは、首都のウランバートルともう1ヶ所だけでした。


初日の、中間ポイントにて。
この時はまだ元気です。


ちょっと遠いけど本部移動用、並びに、私達の大事な荷物を運んでくれた、ヘリコプター。
国防用の軍事ヘリコプターだそうです。
見掛けは、かなりぼろいけど、そこは、パイロットの腕でカバーだそうです。
これは、医療でも同じで、足りない器材を、お医者さんの腕でカバーです。


ETAP2のゴール、キャンプ地にて。
この日は、早い時間にゴールできたので、ゆっくりと整備することが出来ました。


同じくETAP2キャンプ地の私のバイク
もうサブフレームが折れている人も何人かいました。
XRは最終日まで、サブフレームが折れずにいた人のほうが少なかったのでは?
あんなにポキポキとサブフレームが折れるとは思いませんでした。
私のバイクは、補強のフレームが効いてて、折れずに済みましたが。


何てことはない1枚の写真ですが、実はここで、体力が尽きてETAP4の夜を過ごしました。
この日は大量のリタイヤ者が出て、計20名の方が、涙を飲むことになりました。


ETAP4の一夜を共にした野口君です。
彼には、次の日も大変な試練が待ち受けていました。


砂漠で、ビバーグして、朝、前日のキャンプ地に向かっている所です。
この看板のところで、やっとルートマップ上の、オンコースに合流できました。
砂漠で、こういった、人が作ったものは、ほとんど見当たりません。
大事な目標物です。


ETAP4のゴール地点にあったミサイルの不発弾です。
決して、蹴りを入れたりしては、いけません。


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